戦前のドイツ映画 「夜の鏡」 に出てくる男性型アンドロイド
ヨーゼフ(Joseph)の立体を作ったデスヨ(´ι _` )


  


木を彫ったデスヨ(´ι _` )全長80cmもあるデスヨ(´ι _` )

「夜の鏡」(原題NachtSpiegel/ナハト・シュピーゲル)は
ユダヤ系ドイツ人ルディ(ルドルフ)フォン・ハウゼン監督1930年製作の無声映画

一般に社会派作品で知られるフォン・ハウゼン監督だが
その初期にはSF映画も撮っていた

 

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同じくドイツのフリッツ・ラング作品「メトロポリス」に影響を受けたようではあるが
脚本は1898年に刊行されたフランスの劇作家ピエール・ルイスの
「女と人形」(原題 "La femme et le pantin")
のパクリ…とまで言っては言い過ぎだが翻案だろう(´ι _` )
その辺の映画自体評価の低さもあってか
メトロポリスの「マリア」が女性型アンドロイドの白眉として有名であるのに対して
ヨーゼフはマイナーで日本では殆ど知られていない…

とか何とか言うのは勿論真っ赤なウソである(´ι _` )

ルディ・フォン・ハウゼン監督なんて人は実在しないし
「夜の鏡」なんて映画も存在しない
オレの脳内以外にはネ

木を彫って作ったとか80cmあるとか言うのはホントだけど(´ι _` )
  
 

 

と言う事でオリジナルの人形である
σ(´ι _` )ナリの創作人形の一つの形として見て貰えれば…

一応製作工程なんかも撮影してある
例によって木彫胡粉彩色技法で製作した

他の誰かが同じ事をしようと思った時に
手軽にやれる(マネ出来る)容易な方法ってのがオレはイヤなのだ
(オレはね)

ところで
「デザインなんて自分で出来るモン♪」と言うのは簡単だが
何であれ結局自分から出た表現とは排泄物であり理念である


コトバにすると大層なんだが自分以上(言い換えれば自分の経験値)のモノは
幾らがんばっても出てこない
だからコレだって「どこかで見たロボットみたいですぅ」とか言われたら
オレも「ふーん」としか言い様が無いんだけどな(´ι _` )

「ゆるキャラなんか考えるの簡単じゃん♪」

と我々素人は思ってしまうが 
数多のゆるキャラの中で「ひこにゃん」の様に
万人を惹きつける「何か」を持った(付与された)デザインは
そうそう簡単に出ちゃ来ないのさ(´ι _` )

今回は冒頭の年代、国籍を設定にすると
アール・デコとかゴシックっぽい感じにしたくてさ

美術様式ってのは時代の空気だからその辺を理解しないと
途端にアニメオタクの「ボクが考えたロボット」的な雰囲気になってしまうんだよ(´ι _` )

自分の(無意識のモノも含めて)蓄積された知識は
好むと好まざるに関わらず反映されちゃうんで
変にリアリティみたいな講釈をデザインに詰め込むと
かえって幼稚(高校生くらいが喜ぶ幼稚さな)になってしまう

かと言ってコイツにツノを生やしたり羽を背負わせたりしたら
ケレン味は出るのかもしれないが
それをすると途端にS・I・C魂や
雨宮慶太作品に登場するキャラクターになってしまうので
色々くっつけたい気持ちを抑えるガマンも肝心(´ι _` )

模型雑誌の紙面とかよりも
銀座のショーウインドゥに飾られた時に違和感が無い様に…
そんな事を念頭に置きました

↑目的が達成できたとは言わないがとりあえず理想は高邁に(笑)

創作を謳う以上やっぱオリジナルで「創った」モノでないと

「コイツはオレ様が作ったんだぜヽ(・∀´ι _` ∀・ )ノ Yeh♪」

と威張れないなと思ったモンでさ
(別に威張るタメにこう言うモノ作ってるワケじゃないけどな)

でも

じゃあ人様が考えたデザインを立体化する事は
自分のデザインを自ら作るよりも簡単か?

と言うと必ずしもそうではなくて
オリジナルって自分が創造主だから

「作りにくいからココはこうしちゃおう♪」

とか勝手に出来るじゃん?

そうすっと
「やってるうちにこんなデザインになってしまいました」的な甘さが漂って
厳しい姿勢で他人のデザインに挑み再現したモノよりもはるかに劣る
誰にも訴えかけるモノが無い単なるオナニーにしかならないんだよ(´ι _` )

つまり妥協点を自分なりに高く設定しないと
易きに流されてしまうワケです

某所で荒俣宏さんにコイツを見て貰う機会があったけども
「キミはこう言うものをもっと作るとイイと思う」
と仰られたのは嬉しかったな(´ι _` )

今二体目を作ってるけどコレが10体とか並んでいたら
やりたい表現として説得力があるでしょ


百貨店で並べるのはムリだけどサ(笑)
4月の京都の個展では二体ほど展示する予定です


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